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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)3888号 判決

原告

粕谷主政

森田レイ

森田大良

森田昌子

木﨑豊子

高橋重子

増田文榮

右原告七名訴訟代理人

口野昌三

右訴訟復代理人

佐藤孝一

被告

右代表者法務大臣

坂田道太

右指定代理人

平賀俊明

外四名

主文

一  被告は、原告粕谷主政に対し、金一一二七万六〇〇五円及びうち金一〇二七万六〇〇五円に対する昭和五〇年五月三〇日から、うち金一〇〇万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告森田レイに対し金七九六万四六五六円及びうち金七二六万四六五六円に対する昭和五〇年五月三〇日から、うち金七〇万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済まで年五分の割合による金員並びに原告森田大良、原告森田昌子、原告木﨑豊子及び原告高橋重子に対しそれぞれ金九九万八〇八二円及びうち金九〇万八〇八二円に対する昭和五〇年五月三〇日から、うち金九万円に対する本判決言渡の日の翌日から各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  右原告六名のその余の請求及び原告増田文榮の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告粕谷主政、原告森田レイ、原告森田大良、原告森田昌子、原告木﨑豊子及び原告高橋重子と被告との間においては右原告六名に生じた費用の五分の二を被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告増田文榮と被告との間においては被告に生じた費用の一〇分の三を原告増田文榮の負担とし、その余は各自の負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1(一)  亡粕谷義廣(以下「亡粕谷」という。)は、昭和八年二月二日出生し、郷里の中学校を卒業後昭和二七年七月九日警察予備隊に入隊し、昭和三七年一月一日その後身である陸上自衛隊の二等陸曹に昇任し、同年八月一六日付けで第一〇七施設大隊第一中隊に配属となり、後記の本件事故による公務殉職により昭和四〇年五月二四日一等陸曹に特別昇任した。

(二)  亡森田清也(以下「亡森田」という。)は昭和一九年四月一一日出生し、郷里の高等学校を卒業後昭和三九年三月二三日陸上自衛隊に入隊し、同年九月五日付けで第一〇七施設大隊第一中隊に配属となり、昭和四〇年二月一日一等陸士に昇任し、後記の本件事故による公務殉職により同年五月二四日陸士長に特別昇任した。

(三)  原告増田文榮(以下「原告増田」という。)は、昭和二一年三月一三日出生し、中学校を卒業後昭和三九年三月二六日陸上自衛隊に入隊し、同年六月二五日第一〇七施設大隊に配属となり、昭和四〇年二月一日一等陸士に、昭和四一年三月二五日陸士長に昇任するとともに二年間の任期満了により除隊した。

2  陸上自衛隊東部方面総監は、自衛隊法一〇〇条一項に基づき、新潟県知事から「新潟県県道両津外海府佐和田線道路改修工事」(以下「本件工事」という。)の委託を受け、昭和四〇年四月一四日、施設部隊の隊員の岩石爆破訓練を目的の一つとして、この施行を承諾し、第一〇七施設大隊長(以下「訴外大隊長」という。)あてに右工事の受託を通知し、訴外大隊長は本件工事実施に関する第一〇七施設大隊一般命令により第一中隊長訴外舟屋良雄一尉(以下「訴外中隊長」という。)に対し本件工事の実施を命じた。

右訴外中隊長は、自らを作業隊長とする作業隊を編成し、その下に作業小隊を置いた。

作業小隊は小隊長を訴外乾一宇(以下「訴外小隊長」という。)とし、その下の作業小隊陸曹が亡粕谷で、更にその下で作業に従事する隊員が第一、第二の二つの作業隊に分かれていた。亡森田及び原告増田は第一作業隊に所属していた。

3(一)  本件工事は、佐渡ケ島の日本海に面する山腹に設けられた断がい絶壁の多い既存の幅員三メートルの一車線路を、車両運行上の不便・危険を改善するため、五八〇メートルに渡り、車両幅員五メートルの二車線路(全幅六メートル)に拡幅するもので、総土工量は一万二六三〇立方メートルと見積もられ、その大半が岩石であるため、爆破作業が中心となるものであつた。

(二)  昭和四〇年五月二四日午後四時四〇分ごろ、当日の作業現場の岩盤のせん孔作業が終了したので、作業小隊第一及び第二各隊は二名一組となつて、せん孔に爆薬を装てんする作業を行つていた。亡粕谷は右作業の指導を行つていた。

原告増田及び亡森田は右一組として、原告増田が粉末の黒色カーリットをせん孔内に投入し、亡森田が込め棒を用いて右カーリットを装てんしていた。

(三)  その際、亡森田が右せん孔入口付近の岩石の突出部を取り除こうとして、鋼鉄製バールで突いていたところ、突然右爆薬が爆発し、更に右孔付近にあつた黒色カーリット爆薬1.5キログラムが誘爆し、これらの爆発によつて亡森田及び付近にいた亡粕谷は同日死亡し、原告増田は両眼を失明する重傷を負つた(以下「本件事故」という。)。

4(一)  統計によれば、本件のような火薬類の装てん作業中の事故の件数は、明治三五年から昭和三五年までにおける火薬類消費中の事故のうち第三位を占め、右装てん作業が事故多発性のものであることは明らかである。

(二)  本件工事に使用された爆薬は、通称黒カーリットと呼ばれるもので、過塩素酸アンモニウムを基剤として、けい素鉄、重油等を混合した粉末である。

右黒カーリットは、衝撃、摩擦に対して極めて鋭敏な性質を有する。

(三)  本件工事では、当初右粉末二二五グラムを包装紙で包んだ薬包をせん孔内に装てんしていたが、訴外小隊長は、自らの発案により、本件事故発生の一週間位前から、本件工事の作業隊員に対し、爆発効果を高めるため、右薬包を開いて取り出した粉末をせん孔内に装てんすること、ただし雷管設置の必要上最後の二本は薬包のまま装てんするよう命じ、この方法で装てん作業が行われるようになつた。

(四)  右粉末使用は、(二)記載の黒カーリットの鋭敏な性質に照らし、極めて危険な使用方法である。

5  (被告の安全配慮義務違背に基づく責任)

(一) 被告は、亡森田及び原告増田ら作業隊員に右のとおり極めて危険な黒カーリットの粉末を用いた装てん作業を行わせる以上、右の者らに対し、右粉末使用が、それまで薬包を用いた装てん作業に比べてはるかに危険であること、したがつて今まで以上に細心の注意をもつて装てん作業を行う必要があること、殊に粉末を装てんする際、金属製の用具を用いると発火又は爆発する危険性が極めて高いので絶対に使用しない旨十分指導、教育を行い、もつて右の者らの生命及び健康を右危険から保護するよう配慮すべき義務、すなわち安全配慮義務を負う。

しかるに、被告は危険な黒カーリット粉末の使用開始後も右指導、教育を行わなかつたため、本件事故が発生するに至つたもので、右安全配慮義務違背により亡粕谷、亡森田及び原告増田(以下「亡粕谷外二名」という。)の受けた損害を賠償すべき義務を負う。

(二) 黒カーリットの薬包を開いて粉末を取り出す行為は、継続反復的に行えば、火薬類取締法三条及び四条所定の「製造」並びに昭和二八年八月一日保安庁訓令第二〇号「火薬類の取扱に関する訓令」六条所定の「変形」に該当するので、それぞれ所定の許可を要する。ところが、訴外小隊長は、右各法令の許可を得ることなく、継続反復的に黒カーリットの薬包を開き、粉末を取り出して、せん孔の装てん作業に使用させた。

被告は、仮に亡森田及び原告増田ら作業隊員に対し、装てん中爆発する危険性の高い黒カーリットの粉末の使用を命じる必要性があるならば、その生命及び健康等を危険から保護するために、その粉末の製造(変形)については火薬類取締法令の定めを順守して製造させるべき安全配慮義務を負つていたにもかかわらず、訴外小隊長は、右各法令に違反し、その粉末の製造を命じ、作業隊員に対し、右粉末を装てん作業に用いるよう命じたのであるから、亡粕谷外二名に対し右安全配慮義務違背による責任を免れない。

(三) 被告は、亡森田及び原告増田ら作業隊員に対し、前記のとおり危険な爆薬の装てん作業を命じる以上、その生命及び健康等を危険から保護するために、爆薬装てんの経験に乏しい者は経験者と組み合わせて、初歩的な不注意から生ずる虞のある危険を未然に防止して、作業を行わせるべき義務を負つていたにもかかわらず、爆薬の装てん作業について未経験であつた亡森田及び原告増田を組み合わせて右作業を行わせた。したがつて、被告は亡粕谷外二名に対し右安全配慮義務違背による責任を免れない。

(四) 被告は、作業隊員に対し、前記のとおり鋭敏な黒カーリットをせん孔内に装てんする作業を命じたのであるから、万一作業中の黒カーリットが爆発しても、付近の黒カーリットが誘爆することのないよう、作業場所から安全な距離を置いて黒カーリットを保管し、もつて作業隊員の安全を保護すべきであつたにもかかわらず、右義務に違背し、亡森田及び原告増田が装てん作業中のせん孔から数センチメートルの至近距離に黒カーリットを積んでいた。そのため、右せん孔の黒カーリットが爆発した際、積んであつた黒カーリットが誘爆し、亡森田は現場から七〇メートルのがけ下まで吹き飛ばされて死亡し、亡粕谷も死亡した。したがつて被告は亡粕谷外二名に対し、右安全配慮義務違背による責任を免れない。

6  (被告の国家賠償法一条一項に基づく責任)

訴外小隊長は、前記4の(一)ないし(四)記載のとおり、火薬の装てん作業が危険なこと、黒カーリットの薬包を開いて粉末を取り出し、右粉末を装てんすることが危険性を著しく高めるうえ、法令に違反する行為であることを知り又は知ることができる状況にありながら、あえて右危険な使用方法を作業隊員に命じたものであり、右判断に故意又は過失があることは明らかである。

訴外中隊長は、訴外小隊長から右使用方法について意見具申を受けながら、訴外小隊長による右使用方法を禁止することなく放置したものであり、右判断に故意又は過失があるというべきである。

したがつて、被告は、訴外中隊長又は訴外小隊長が、本件工事実施にあたつて、故意又は過失によつて右違法な黒カーリットの使用を命じたため亡粕谷外二名が受けた損害を賠償する義務を負う。〈以下、事実省略〉

理由

一請求の原因1の(一)、(二)の事実は、当事者間に争いがない。

二本件事故の発生

1  新潟県知事から、自衛隊法一〇〇条一項に基づき、本件工事の委託を受けた陸上自衛隊東部方面総監は、昭和四〇年四月一四日、施設部隊の隊員の岩石爆破の訓練を目的の一つとしてこの施行を受託し、訴外大隊長あてに右受託を通知し、訴外大隊長は、本件工事実施に関する第一〇七施設大隊一般命令により、訴外中隊長に対し、本件工事の施行を命じた。

2  訴外中隊長は、自らを作業隊長とする作業隊を編成し、その下に作業小隊を置き、本件工事に従事したところ、同年五月二四日午後四時四〇分ごろ、いずれも第一作業隊に属する亡森田及び原告増田が一組になつて、岩盤のせん孔に爆薬(黒カーリット)を装てんする作業に従事中、亡森田が金属製の用具を用いて右せん孔を突いた際、右せん孔内の爆薬が爆発し、亡森田及びその付近にいた作業小隊陸曹亡粕谷が死亡し、原告増田が両眼を失明する重傷を負つた。

3  以上の事実は、当事者間に争いがない。

三本件事故現場の状況と本件事故にいたる経緯

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件工事は、佐渡ケ島の日本海に面する山腹に設けられた断がい絶壁の多い既存の幅員三メートルの一車線路を、車両運行上の不便・危険を改善するため、五八〇メートルにわたり、車両幅員五メートルの二車線路(全幅六メートル)に拡幅するもので、総土工量は一万二六三〇立方メートルと見積もられ、その大半が岩石であるため、爆破作業が中心となるものであつた(以上の点は、当事者間に争いがない。)。

2  本件工事の下命を受けた訴外中隊長は、前記のとおり、自らを作業隊長とする作業隊を編成し、これを作業本部(一七名)、安全係(二名)、整備班(四名)、器材班(二名)、作業小隊(二一名)に分けてその作業を分担させたが、器材班はコンプレッサー四台、ドーザー二台を擁して岩石の爆破用せん孔と土石の除石等の作業をなし、作業小隊は、第一作業隊(一〇名)と第二作業隊(一〇名)とに別れ、浮石の除去、岩盤の露出、せん孔に対する爆薬の装てん及び爆破等の作業をなした。

3  本件事故現場は、北側日本海に面してそそりたつ断がい上に南側にのびる山腹を削りとつて造成された既存道路附近であり、本件工事はその南側の山腹部分を更に削りとつて、ここに全幅員六メートルの道路を開設するものであるが、前記のとおり右山腹部分は大半が岩盤から成るため、これを爆薬で破砕して除去する爆破作業が中心となるものであつた。その作業手順の概要はまず浮石等を除去して岩盤を露出させ、コンプレッサーによつて、直径約三センチメートル、深さ約二メートルの多数の穴をあけ、これに直径三センチメートル弱、長さ約一〇センチメートルの包装された黒カーリット約一〇本を、約二メートルの木製の込め棒を用いて順次落下させて装てんし、最後から二番目の黒カーリット包に雷管をとりつけて導火線に連結し、上から粘土を詰めて密閉し、爆発させ、ドーザーで右岩石等を除去する方法でなされたが、右装てんにあたつては、作業隊員二名を一組とし、一名が爆薬を投入し、一名が右込め棒で装てんする仕組みであつた。

4  ところが、訴外小隊長は、本件事故の一週間位前から、自らの発案により、作業隊員に対し、爆発効果を高めるため、右黒カーリットの薬包を開いて取り出した黒カーリットの粉末を直接せん孔内に投入し、雷管設置の必要から、最後の二本は薬包のまま装てんするよう命じ、以来この方法で作業が行われた(以上の点は、当事者間に争いがない。)。

5  本件事故当日は、第一、第二各作業隊とも、午前八時ごろからシャベル、金属製バール、つるはし等を使用して、浮石除去作業に着手し、同一一時ごろにはこれを終了したため、引き続きせん孔作業及び爆薬装てんを行うべく、第一作業隊及び第二作業隊が右各作業を二工区に分けて担当・実施することとなつた。そこで第一及び第二作業隊は、シャベルやつるはしで土を除いて岩盤を露出させた後、それぞれコンプレッサー二台を使用して岩盤のせん孔をなし(第一作業隊では迫田耕吉及び高島幹男が組になり、コンプレッサーを使用してせん孔をなした。)、午後四時すぎころまで、合計一二一のせん孔をなし、第一作業隊は、作業現場の隅に右使用済のシャベル、金属製バール、つるはし等を放置して、同四時三〇分ごろから黒カーリットの粉末を装てんする作業に入つた。亡森田、原告増田の組では、原告増田が黒カーリットの粉末を投入し、亡森田が木製の込め棒を用いて、右粉末を装てんする作業をなしたが、本件事故発生のせん孔において、亡森田は、木製の込め棒では、思うような装てんができなかつたため付近にあつた金属製の用具を用いてせん孔内を突いて装てんするうち、本件事故が発生した。

6  第一作業隊及び第二作業隊の隊員は、作業を行うために器材庫から持ち出した器具は、当該作業の終了後、次の作業に取り掛かる前に器材庫に戻す旨の教育は受けていたが、実際には第一作業隊の隊員は、本件事故発生に至るまで、作業をする日の朝、作業開始前に作業現場から離れた所にある器材庫から前記シャベル、金属製バール、つるはし等の器具を持ち出し、当日の全作業が終了した夕方に右各器具を右器材庫に戻していた。すなわち、浮石除去作業、せん孔作業が終了しても右各器具は、作業現場の隅に放置し、そのまま爆薬装てん作業を行つていた。ところで、黒カーリット爆薬をせん孔に装てんする際、深さ四〇センチメートル位の所で小石等のために詰まることがしばしばあり、第一作業隊の高島幹男、吉田栄、登沢良三らは、本件事故の発生前には、右のとおりすぐ近くに放置されていた金属製バールで一方が曲がりもう一方が円筒形のものを使つて、詰まつた箇所の周辺を崩したりして、黒カーリットの装てんを行つたことがあつた。

7  訴外小隊長は、本件事故後、前記黒カーリットの粉末を使用する旨の命令を取り消し、薬包のまま木製の込め棒による装てんの厳守を命令し、以来これが実行され、本件工事を完成させた。

四被告の責任

1  前記各証拠に、〈証拠〉を加えると、次の事実が認められる。

(一)  訴外大隊長は、前記のとおり、本件工事実施に関する第一〇七施設大隊一般命令により、訴外中隊長に対し、本件工事の実施を命じたが、その際特に爆破の安全管理を図るため、安全点検表に依拠し、指揮官に対し、安全管理のための指揮関係を確立すること、作業隊員に作業要領を徹底させること、状況に応じ適切な判断をすること並びに安全管理担当者が、現場で、安全点検表に記載されている諸点、殊に運搬、起爆準備、点火準備、点火及び落石の各項目掲記の具体的な点検事項について、形式に流れず、十分監視を行つているかどうか注意する義務を課した。そして、右安全点検表の「起爆準備、点火準備」の項目では、火薬の装てんに鋼鉄製の器具を使用していないか、付近に異常なほど鋭敏な性質に変わり易いカーリット又は黒色火薬の粉末や粒がこぼれていないか及びみだりに薬包の形を変えていないかの点が挙げられていた。

(二)  黒カーリットは、衝撃、摩擦に鋭敏に反応し、引火、着火しやすく、装てん中に薬包が破れて岩石孔に粉末が付着している状態で、込め棒による衝撃、摩擦を受けると発火又は爆燃する傾向が大であるため、右のように装てん中に薬包が破れたときには、特に込め棒による摩擦が危険であるところから、注水操作が必要であり、黒カーリットの薬包を開いて取り出した粉末を込め棒でせん孔に装てんする行為は、黒カーリットの薬包のまま込め棒で装てんする行為に比べ、はるかに危険である。

(三)  火薬装てん中における事故の原因を統計的に見ると、金属棒によるものが多く、金属棒による装てんが禁止されていても、実際にはこれを行つた例が少なくないことがうかがわれ、木製等非金属製の込め棒を使用した場合でも、途中で強く突く等無理な装てんを行つたため爆発に至つた事故やカーリットが込め棒と岩石(孔)との摩擦によつて爆発したと思われる事故が少なくない。

前記のとおり、第一作業隊の隊員の中にも、本件事故発生に至るまで、金属製バールを黒カーリット爆薬の装てんの際に使用した者が何人かいた。

(四)  陸上自衛隊では、新人隊員に対し、前後期に分けて新隊員教育を行うが、後期三か月では職種専門教育を行うことになつており、施設職種の隊員についていえば、火薬、火具及び爆破についての一般的な教育が行われているところ、訴外中隊長は、本件作業現地へ出発するに先立ち、昭和四〇年四月一七日、高田駐とん地において、作業隊員に対し、安全点検表を理解させることを主とした爆破に関する法規及び火薬学についての教育を二時間実施し、作業現地到着直後の同年四月二〇日にも、作業隊員に対し、安全管理を含めた計画全般についての説明を行つたものの、火薬取扱いその他の爆破についての具体的、技術的指導・監督については、訴外小隊長に任せた。

以上の事実が認められ〈る。〉

2 前記三の事実及び右認定の各事実に照らして考えると、被告は、訴外小隊長が亡森田及び原告増田ら作業隊員に対し、前記黒カーリットの薬包を装てんしていたのに代えて、その粉末をせん孔内に装てんするよう命じた時点において、従前行われた一般的な教育をもつて足りるとすることなく、右の者らに対し、右粉末の使用が、それまでの薬包を用いた装てん作業に比べてはるかに危険であるため、これまで以上に、細心の注意を、もつて装てん作業を行う必要があり、ことに黒カーリット粉末を装てんする際、金属製の用具を用いると、発火又は爆発する危険性が極めて高いので、絶対に使用しないこと、また木製の込め棒を使用するにしても、黒カーリット粉末は摩擦、衝撃に鋭敏なので、強く突いたり、無理に押し込むと右同様極めて危険である旨具体的な指導、教育を念入りに行い、もつて右の者らの生命及び健康等を右の高度な危険から保護するよう配慮すべき義務、すなわち、安全配慮義務を負つたものと解するのが相当である。

3  そこで、被告が右安全配慮義務を履行したか否かについて検討するに、被告がその履行補助者を通じて右安全配慮義務を履行したことを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、〈証拠〉によると、訴外小隊長は、一か月の作業期間が無事故で過ぎたことに安心していたうえ、装てんに黒カーリットの薬包を使用する場合とその粉末を使用する場合との間において、込め棒による摩擦・衝撃に対する危険性は変わりなく、木製の込め棒を使用する限り、黒カーリットの粉末を装てんしても、爆発の危険性はない旨考えており、作業現場で行つた機会教育でも、同年四月二五日に、カーリットがダイナマイトよりも摩擦・衝撃に対して鋭敏であることを指摘したものの、同年五月一〇日に雷管付きカーリットを装てんしてからは力を加え過ぎないよう注意を喚起し、同月一九日にも黒カーリットの装てんのことを取り上げながら、爆薬の量が多い装てんが目立つてきたこと、装てんを行う際は石が出てきてせん孔が詰まらないよう静かに行う必要がある旨注意したにとどまり、結局本件事故発生に至るまで、黒カーリットの粉末使用が、薬包のみを使用していた装てん作業に比べ、はるかに危険であるから、今まで以上に注意を払うべきこと、殊に、金属製の用具を用いる危険についてのみならず、木製の込め棒を使う際の摩擦・衝撃の危険性について十分注意すべきことにはなんら言及しなかつたことが認められる。

また、〈証拠〉によると、訴外中隊長は、本件事故発生以前において、訴外小隊長から黒カーリットの粉末を使用している事実を聞かされ、訴外小隊長に右粉末使用の危険性を説明し、やめるように勧めたものの、訴外小隊長から右粉末使用の必要性を説かれたうえ、右中隊長自身も、装てん中に黒カーリットの薬包が破れたときには、注水操作をしなければ、込め棒による摩擦の危険が存するというほどの黒カーリットの粉末使用の危険性についての認識を有していなかつたことも手伝つて、結局、十分に注意して、使用するのであれば、黒カーリットの粉末使用も仕方がないと判断し、その使用を黙認していたことが認められる。

以上のとおりであつて、被告には前記安全配慮義務の違背があつたものといわざるを得ず、本件事故発生によつて、前記安全配慮義務は履行不能に陥つたものと解するのが相当である。

五抗弁1について

たしかに、亡粕谷が本件事故当時亡森田及び原告増田の所属する作業小隊の陸曹であつたことは、前記のとおりであり、〈証拠〉によると、亡粕谷は、火薬関係に詳しく、本件工事でも、火薬の管理に携わり、訴外小隊長と黒カーリットの粉末使用について討議する機会があつたうえ、黒カーリットの薬包を開いて粉末を取り出し、これを集める作業を行い、さらに装てん作業を行う作業隊員の所まで、黒カーリットの粉末を運んで配分し、訴外小隊長の指示・命令を第一、第二各作業隊に伝達していたことが認められる(〈反証排斥略〉)。

しかしながら、前記のとおり、訴外小隊長が、自らの発案により、本件工事の作業隊に対し、黒カーリットの薬包を開いて取り出した粉末をせん孔内に装てんするよう命じ、訴外中隊長から右粉末使用の危険性を指摘され、中止を勧められたにもかかわらず、右粉末使用の必要性を力説して、結局自分の意見を通した経緯に加え、〈証拠〉により認められる次の事実、すなわち、訴外小隊長は、防衛大学校、幹部候補学校などで火薬工学、火薬の取扱い等について教育を受け、本件事故までに、火薬についてひととおりの知識を持つており、自衛隊の新隊員教育教官として爆破作業の基礎について教育したことがあつたこと、訴外中隊長から、本件工事の現場における火薬取扱いの技術的な教育を任され、昭和四〇年四月二三日から本件事故発生に至るまで二四回にわたり、作業隊員に対し、いわゆる機会教育を行つたこと、訴外小隊長は本件工事に関し、作業小隊命令を発し、第一、第二各作業隊を監督・指導していたこと及び前記黒カーリットの粉末使用の決定について亡粕谷が直接参画していないことを総合して考えると、亡粕谷は訴外小隊長の補助者としてその指示・命令に従つて行動していたにすぎず、火薬の管理を担当していたとはいえ、被告の前記安全配慮義務の履行補助者であつた旨解することはできないといわざるを得ない。

したがつて、抗弁1の主張は理由がない。

六亡粕谷の被つた損害について

1  逸失利益

亡粕谷は、前記のとおり、昭和八年二月二日に出生したところ、本件事故がなかつたとすれば、次のとおり少なくとも満六七歳まで稼働できたものというべきである。

(一)  自衛隊在職中の逸失利益

亡粕谷が本件事故当時二等陸曹八号俸の支給を受けていたことは、当事者間に争いがない。

原告粕谷が主張するように、亡粕谷が昭和四八年一月一日には一等陸曹に昇任したであろうことを認めるに足りる証拠はない。

そこで、亡粕谷は、昭和四〇年から五〇歳の定年まで原則として防衛庁職員給与法別表第二自衛官俸給表に従つて毎年一号俸ずつ昇給するものとし、昭和四〇年度から昭和四九年度までは、〈証拠〉によつて認められる各年度改正の防衛庁職員給与法別表第二自衛官俸給表により、昭和五〇年度から昭和五八年度までは〈証拠〉によつて認められる昭和四九年改正の右俸給表により認められる俸給月額を基礎とし、昭和四〇年度から昭和四九年度までは〈証拠〉により認められる営外手当及び昭和五〇年度以降は右昭和四九年度と同額の営外手当を右各俸給月額に加算し、期末手当及び勤勉手当を俸給月額の4.8倍とし、亡粕谷の生活費を収入の五〇パーセントとみて、年五パーセントの割合による中間利息の控除につきライプニッツ式を採用して、亡粕谷の自衛隊在職中の逸失利益の現価を計算すると別表4A記載〈省略〉のとおり金一〇二二万〇二三七円となる。

(二)  退職手当

亡粕谷は定年退官までには在職三一年となるから、国家公務員等退職手当法五条一項一号ないし三号を適用し、亡粕谷の生活費を五〇パーセントとし、ライプニッツ式により年五分の割合による中間利息を控除して、自衛隊を退職したときの退職手当の現価を算出すると別表4B記載〈省略〉のとおり金一六三万〇三三六円となる。

(三)  再就職による逸失利益

亡粕谷は、自衛隊を退職後、五〇歳から六七歳までの一七年間は、一般の民間会社において稼働し得たものというべきである。〈証拠〉により認められる昭和五四年度の資金センサスによる企業規模計男子労働者旧制中学校・新制高等学校卒業者欄の全年齢平均賃金及び平均年間賞与額を基礎とし、亡粕谷の生活費を五〇パーセントとみて、ライプニッツ式により年五分の割合による中間利息を控除して右逸失利益の現価を算出すると、別表4C記載〈省略〉のとおり金七一八万四三一九円となる。

2  慰謝料

亡粕谷が被告の安全配慮義務違背により受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、金五〇〇万円を下回ることはない。

3  過失相殺

亡粕谷が、本件事故当時亡森田及び原告増田が所属していた作業小隊陸曹として訴外小隊長を補佐する立場にあり、火薬関係に詳しく、本件工事でも火薬の管理に携わり、訴外小隊長と黒カーリットの粉末使用について討議する機会があつたうえ、黒カーリットの薬包を開いて粉末を取り出し、集める作業を行い、さらに装てん作業を行う作業隊員の所まで黒カーリットの粉末を運んで配分する仕事をしたことは前記のとおりでありながら、訴外小隊長に対し、さらに念入りな教育、指導の必要性を具申せず、亡森田による金属性の用具の使用を看過したことは明らかであり、亡粕谷の被つた損害のうち、五割に相当する額は、亡粕谷の過失によるものと解するのが相当である。

4  そこで、前記認定にかかる損害金合計額金二四〇三万四八九二円から五割相当額を減ずると、残額は金一二〇一万七四四六円となり、これが被告において負担すべき損害額である。そして、右損害額から、亡粕谷熊吉及び亡粕谷ぎんが遺族補償一時金及び退職手当として支払を受けた金一七四万一四四一円(この事実は当事者間に争いがない。)を減ずると、被告が賠償すべき額は、金一〇二七万六〇〇五円となる。

また、〈証拠〉によれば、亡粕谷熊吉及び亡粕谷ぎんが亡粕谷及び原告粕谷の両親であること並びに亡粕谷ぎんが昭和四〇年九月一九日及び亡粕谷熊吉が昭和四四年三月二五日にいずれも死亡したことが認められ、右事実によれば、原告粕谷は右金一〇二七万六〇〇五円の損害賠償請求権を承継したものというべきである。

5  原告粕谷が本訴の提起と訴訟の遂行とを原告ら訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の内容・請求認容額及び訴訟の経過等諸般の事情をしんしやくすると、被告の亡粕谷に対する安全配慮義務違背と相当因果関係のある損害と評価できる弁護土費用は金一〇〇万円と認めるのが相当である。

弁論の全趣旨によれば、その支払時期については、本判決言渡の日と約定されていることが認められる。

七亡森田の被つた損害について

1  逸失利益

亡森田は、前記のとおり昭和一九年四月一一日出生したところ、昭和三九年三月二三日、二年を任用期限として陸上自衛隊に任用されたことは、当事者間に争いがない。

亡森田は、本件事故がなかつたとすれば、次のとおり少なくとも満六七歳まで稼働できたはずである。

(一)  自衛隊在職中の逸失利益

〈証拠〉によれば、亡森田は、本件事故当時、一等陸士一号俸として月額金一万三八〇〇円の俸給の支払を受けていたことが認められ、期末手当及び勤勉手当を俸給月額の4.3倍とし、亡森田の生活費を収入の五〇パーセントとみて、年五パーセントの割合による中間利息の控除につきライプニッツ式を採用して、亡森田の自衛隊在職中の逸失利益の現価を計算すると別表5A記載〈省略〉のとおり金九万二〇五五円となる。

(二)  退職手当

亡森田は、前記のとおり二年の任用期間の満了をもつて退職するから、防衛庁職員給与法二八条一項一号を適用し、亡森田の生活費を五〇パーセントとし、ライプニッツ式により中間利息を控除して自衛隊を退職した場合の退職手当の現価を算出すると、別表5B記載〈省略〉のとおり金二万一九〇二円となる。

(三)  再就職による逸失利益

亡森田は、右退職後、二二歳から六七歳までの四五年間は、一般の民間会社において稼働し得たものというべきである。昭和四一年ないし昭和四五年については、〈証拠〉により認められる企業規模計全労働者全年齢平均給与額及び平均年間賞与額を、昭和四六年ないし昭和五一年については、〈証拠〉により認められる右各年度の賃金センサスによる企業規模計男子労働者旧制中学校・新制高等学校卒業者欄全年齢平均給与額及び平均年間賞与額を、昭和五二年及び昭和五三年については、昭和五一年度の右平均給与額及び平均年間賞与額を、昭和五四年以降については〈証拠〉により認められる昭和五四年度の右平均給与額及び平均年間賞与額をそれぞれ基礎とし、亡森田の生活費を収入の五〇パーセントとみて、年五パーセントの割合による中間利息の控除につき、ライプニッツ式により、亡森田の右逸失利益の死亡時の現価を計算すると、別表5C記載〈省略〉のとおり金一八〇七万七三七一円となる。

2  慰謝料

亡森田が被告の安全配慮義務違背により受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、金五〇〇万円を下回ることはない。

3  過失相殺

亡森田が火薬の装てん作業の際に、金属製の用具を用いた事実に照らして考えると、亡森田の被つた損害のうち、五割に相当する額は、亡森田の過失によるものと解するのが相当である。

4  そこで、前記認定にかかる損害額合計金二三一九万一三二八円から、五割に相当する額を減ずると、残額は金一一五九万五六六四円となり、これが被告において負担すべき損害額である。そして、右損害額から、亡森田の両親である亡森田寛良及び原告森田レイが被告から遺族補償一時金及び退職手当として支払を受けた金員合計額六九万八六八〇円を減ずると、被告が賠償すべき額は金一〇八九万六九八四円となる。

原告森田大良、同森田昌子、同木﨑豊子及び同高橋重子が右亡森田寛良及び原告森田レイの子であることは当事者間に争いがなく、また、〈証拠〉によれば、亡森田寛良が昭和四七年一二月二一日に死亡したことが認められる。

右事実によれば、右金一〇八九万六九八四円の損害賠償請求権について、原告森田レイが三分の二に相当する金七二六万四六五六円を並びに原告森田大良、同森田昌子、同木﨑豊子及び同高橋重子が各自一二分の一に相当する各金九〇万八〇八二円をそれぞれ承継したものというべきである。

原告森田レイ、同森田大良、同森田昌子、同木﨑豊子及び同高橋重子が本訴の提起と訴訟の遂行とを原告ら訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の内容・請求認容額及び訴訟の経過等諸般の事情をしんしやくすると、被告の亡森田に対する安全配慮義務違背と相当因果関係のある損害と評価できる弁護士費用は、原告森田レイの右承継分について金七〇万円及びその余の原告四名の右承継分について各金九万円と認めるのが相当である。

弁論の全趣旨によれば、その支払時期については、本判決言渡の日と約定されていることが認められる。

八原告増田の請求について

1  まず抗弁5(一)について判断するに、被告が原告増田に対して負つていた前記安全配慮義務が昭和四〇年五月二四日における本件事故の発生により履行不能になつたことは前記のとおりである。また、請求の原因5の(二)ないし(四)の安全配慮義務が、仮にそのとおり認められたとしても、右同様、本件事故の発生によつて履行不能になつたものと解すべきである。したがつて、被告が右各安全配慮義務違背により原告増田に対して負う損害賠償債務の消滅時効は、本件事故の発生の時から進行を始め、一〇年経過後の昭和五〇年五月二四日の満了をもつて右時効が完成したものというべきである。そして、被告が昭和五〇年一二月二二日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用したことは、当裁判所に顕著な事実である。

そうすると、原告増田の安全配慮義務違背に基づく損害賠償請求は、その損害につき判断するまでもなく、理由なきに帰するものといわなければならない。

原告増田の再抗弁1について判断するに、もともと、消滅時効制度は、期間満了から権利行使までの期間の長短を問わず一律に規制されるべきものであるから原告増田の本訴提起が時効期間満了日からわずか二か月余りであることの故をもつて被告の消滅時効の援用をもつて信義則違反ないし権利の濫用であるとする右再抗弁は理由がなく、右再抗弁は採用できない。

2  進んで、原告増田の国家賠償法に基づく損害賠償請求について判断する。

被告は右損害賠償請求権も時効により消滅した旨主張するので、被告の責任について判断するに先立つて、右時効の主張について考えることとする。

亡森田が金属製の用具を使用して火薬の装てん作業を行つたことは前記のとおりであり、原告増田文榮本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、亡増田は、本件事故発生の直後から、自らの過失による損害額の相殺は別として、亡森田の右行為を亡森田の過失と構成して国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求を行うことのできる立場にあつたものと解するのが相当である。ところで、原告増田の本訴における国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求は、訴外中隊長又は訴外小隊長の黒カーリットの粉末使用についての過失を理由とするものであるが、右の亡森田の過失を理由とする損害賠償請求と同一・単一の請求と解され、その消滅時効の起算点は、原告増田が亡森田又は訴外中隊長若しくは訴外小隊長の右各行為のいずれかが違法とみられる可能性があることを認識した時と解するのが相当である。

したがつて、原告増田は、本件事故発生とともに損害の発生を知り、本件事故の発生直後から、亡森田又は訴外中隊長若しくは訴外小隊長の過失を理由とする国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権を行使し得たというべきであるから、被告の右損害賠償債務の消滅時効は本件事故発生の直後から進行を始め、遅くとも昭和四三年中には三年が経過し、右時効が完成したものというべきである。

そして、被告が、昭和五三年七月一四日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用したことは、当裁判所に顕著な事実である。

そうすると、原告増田の国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由なきものといわざるを得ない。

原告増田の再抗弁2について判断するに、訴外小隊長が継続反復的に黒カーリットの薬包を開いて粉末を取り出し、これを装てん作業に使用させていたことをもつて直ちに訴外小隊長の殺人の未必の故意があつたものと解することは到底できない。またその余の原告増田の主張する事実は、被告の右消滅時効の採用をもつて信義則違反ないし権利の濫用であるとするに足りるものではない。したがつて右再抗弁は採用できない。

結局、原告増田の国家賠償法一条一項に基づく右損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由なきものといわざるを得ない。

九以上の次第であつて、原告粕谷、同森田レイ、同森田大良、同森田昌子、同木﨑豊子及び同高橋重子の損害賠償請求は右の限度で理由があるから正当として認容し、右原告六名のその余の請求及び原告増田の請求はいずれも理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用し、仮執行免脱の宣言の申立てについては必要がないものと認めてこれを却下し、よつて主文のとおり判決する。

(伊藤博 宮﨑公男 高世三郎)

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